『いい女』と『高嶺の花』とはどんな女性なのか

僕はいい女という言葉が好きではない。

そして、いい女感を演出しようとしている女性も好きではない。

そもそも、いい女とは何なのだろうか。

よく「いい女になりたい」とか「いい女を目指そう」とか言っている人がいるが、何になりたいのだろうか、どこを目指すのであろうか。

僕には全く分からない。

 

生きていく上で根拠のない自信が大事だと思う。

なぜなら、壊されようがないからだ。

根拠のある自信は、その根拠が失われた瞬間に消滅する。

つまり、根拠に依存した自信。一方で根拠のない自信からは行動が連続的に生まれる。

失敗を恐れず行動し、どんどん成長する者は皆根拠のない自信を有している。

ただ、根拠のない自信を持っている女性は美しくないと思う。極めて個人的に。

否、正確に言うと、根拠のない自信というより、身の丈に合ってない自信を持っている女性だ。

 

根拠のない自信を相手から口にされた時、心地よい人と心地悪い人がいる。

テクスト的には同じだけれど、その言葉を聞いた時の感じ方に違いがある時がある。

心地よい人と心地悪い人の違いは何なのであろうか。

おそらくそれは根拠の有無であると思う。

心地よい人(違和感がない人とも言える)は根拠がある。見えない根拠。

奥底にある実績。「自分で言えるところがいいね」と思える清々しさ。

反対に聞いていて心地悪い人(違和感がある人)は、根拠がない。

頑張って背伸びをしようとしている感。可愛らしいかもしれないが、決して美しくはない、と僕は思う。

『いい女』の正体とは何か

僕が今何を語ろうとしているか。

 

それはいい女の実体である。

 

「いい女」という単語を何度も使うことは躊躇われるが、僕なりに実質的ないい女を明らかにすることにする。

それを明らかにする上で、やはり自信について語る必要があるのだろう。

自信の有無に関して言えば、自信があるのがいい女の条件の一つだと思う。

しかし、根拠のない自信、いわゆる身の丈に合ってない自信を持っている女性は、いい女感はあるが、いい女ではない。

 

先日あるツイートで見た。「いい女風アカウントが実際にいい女である可能性は極めて低い。」

ツイッターの実情を的確に捉えたツイートであると思った。

いい女はわざわざいい女感を標榜する必要がないし、いい女風アカウントを運用する道理もない。

 

では、いい女になるためにはどうすればいのか。

いい女になるために根拠のある自信を持て!というのは短絡的すぎる。

いい女とは、なるものでもないし、目指すべき対象でもない。

誰かが誰かを形容する時に使われる便利な言葉だ。

ある種の思考停止ワード。

 

ただ僕は僕が使用する「いい女」という単語を思考停止ワードにしたくないので今この文章を書いている。

おそらくこのコラムを書き終わった後で、そんなに使用することはないと思うが。

大事なのは誰にとっていい女なのかということだと思う。

 

男にとって?女にとって?仕事において?ここが抜け落ちてしまうとよく分からなくなる。

 

ここでは、男にとっていい女とは何か、ということにして話を進める。

男にとっていい女?その男によって求める良さは変わるのではないか。

したがって、これ以上語ることは困難だ。高嶺の花について語るとしよう。

『高嶺の花』な女性とは?

高嶺の花とはどういう女性か。

調べると、「見ているのが精一杯で決して手が届かない存在を意味する言葉」と出てきた。

これからは僕の主観的なイメージ(かなり偏りがある)で高嶺の花の特徴を何点か挙げる。

ちなみに美人であることは大前提である。

モテない

最初に思い浮かんだ特徴がこれ。

美人だけど何故かモテない。

友達がたくさんいて多くの人から好かれているけれどモテはしない。

高嶺の花と言われている人に共通している気がする。

 

おそらく彼女達は、モテないのではなくて、自らモテを避けているのだと思う。

「モテない努力をしている」と話す女性を何人か知っている。

モテることが自分の価値にならないと考えているのだろう。彼女らにとってモテることは、面倒で煩わしいことなのかもしれない。

SNSで自分の容姿を無闇に晒さない

SNSで晒したら大量のいいねが付きそうな容姿をしているのにもかかわらず、頑なに晒さない女性がいる。

彼女たちはSNSに自分の顔を載せることで、ある種の気品が損なわれると思っているのだと僕は考えている。

彼女らは気品を大切にする生き物だ。

ここで言う気品とは他者に侵害されたくない世界観のことを指す。

その世界観を簡単に他人に譲渡したくない。そんな高尚な意志を彼女たちから僕は感じる。

本音をひた隠しにしている

本音は、その人の人間的な部分を直接的に映し出す。

僕が思うに、高嶺の花である女性はアートのような空気を持つ。

 

見ることはできるけれど、直接触れることはできない。

あるいは、見るだけで十分であり、見ることこそが正しい楽しみ方であり、触れることは御法度だというような。

本音というのはやはりアート的な要素を消し去ってしまう性質を持っている。

 

本音を聞かずに本音を探る、とでも言いようか、アートは各々の主体性に依存しているからだ。

姿勢がよく鼻が高い

これこそ完全に僕の身勝手なイメージである。

姿勢が良いのはまだ分かるが、鼻が高いのは意味が分からないと自分でも思う。

 

でも僕は前述したとおり、今回は論理的で客観的な文章を書くつもりは更々ないので許してほしい。

「高嶺の花」なのだから何となく鼻が高そうじゃないか。

多分、鼻が低くても高嶺の花と呼ばれている人はいるだろう。

よく女性で鼻が低いのをコンプレックスに感じている人がいるが、僕は鼻が低い女性も綺麗だと思うし、鼻が低い美人もたくさん知っている。

いい女と高嶺の花に違いはあるか

 

正直なところ、よく分からない。

この2つはどこまでも主観的な言葉に思えるからだ。ただ、これだと読者が納得しないと思うのでよく分からないなりに僕なりの見解を述べる。

いい女は「いい女感をわざわざ標榜する必要がないくらい根拠のある自信がある女性」であり、高嶺の花は「他者にある種の緊張感を与えるほどの容姿や性質を持っている孤高の女性」である。ちなみに僕が使用している辞書にはこの2つの単語が載っていない。

 

辞書でさえも説明ができていない言葉を僕が客観的に説明できると思えないし、それくらい客観性を欠いた表現になっていると思うのでご承知いただきたい。

世の中には、明らかにできることと明らかにできないことがある。

今回のテーマは後者だ。

 

ただ、明らかにできないことを明らかにできた気分ではいる。

 

大切なのは気分だと思う。

終わりに

僕が何故このテーマについて書こうと思ったかというと、僕がもっているオンラインラボに所属する一人の女性から提案されたからである。

最初提案されたときは、あんまりピンとこないなと思った。

書きたいなという意欲も湧かなかった。

ただ、そもそも僕の方から「コラムを書くのだけど、書いて欲しいことはない?」と持ちかけたので、提案してくれた子に対して申し訳ないなと思って少し書いてみた。

いざ書いてみると、いろいろ見えてくることや考えさせられることがあって、今ではその子に感謝している。

僕は結構好き嫌いが激しいし、どちらかというと扱いづらい人間であると思う。

オンラインラボでも何故か怖がられている。

ただ、そんな僕に対して(提案を素直に引き受けるか分からない僕に対して)提案してくれた彼女は紛れもなくいい女なのではないか。

ということにしたい。

 

こんな文章を最後まで読んでくれたあなたに心から感謝したい。

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